

ヨーロッパの主要自動車メーカーとして様々なモータースポーツに参画しているが、我々の中ではやはり“プジョー=ラリー”という図式が成り立つのではないでしょうか。
プジョーは1970年代から、主にサファリラリーに504を出場させてはいましたが、、80年代になり現在フェラーリF1チーム監督として辣腕を振るうジャン・トッド率いるプジョー・タルボ・スポール(PTS)によってWRCへ本格参戦するようになりました。当時のWRCのトップカテゴリー、いわゆる“グループB”ではアウディ・クワトロの一人勝ち状態。そこにPTSが投入したのが、プジョーを一躍有名にした「205T16」です。市販車の205と外見は同じにしながら4WD化する、そんなメーカーの無謀な注文をミッドシップエンジン+4WDという斬新なアイデアで形にした205T16は連戦連勝、1985年と1986年の2年連続でドライバーとファクチャラーズのダブルタイトルを獲得するに至ります。
フロントエンジン4WDのアウディの牙城を崩したことで、ミッドシップ4WDの優位性を確立、のちに同様のコンセプト及び駆動系などのレイアウトで各メーカーが続々と新型を発表、実戦投入されたものの、行過ぎたパワー競争は1986年のツール・ド・コルスでのランチャーの事故によりドライバーとコドライバーの二人が死亡したことでその危険性を指摘され、翌年よりトップカテゴリーはグループAに移行されることとなる。
グループAの基準を満たす車輌がないプジョーはWRCから撤退。その活動はパリ・ダカール・ラリーへと移り、205 T16、405T16とあわせて四連覇を達成。プジョーは「砂漠のライオン」として競合メーカーに怖れられる存在になりました。
その後、1990年代に入り306MAXI、106MAXIなどのFFキットカーでフランス選手権やWRCにスポット参戦。ターマック専用のこれらのマシンは、時にWRCマシンを追い回すほどの高性能を発揮。プジョーのWRC本格参戦までのつなぎ役ではあったが、6世代人気を支えた功績は大きいものがあったと思います。
WRCへの本格的な再参入は1999年から。トップカテゴリーが、ターボ付4WDのWRカーになったことから206WRCを引っさげて再び参戦。ターマックでの驚異的な強さを発揮し、2000年から3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得。往時の実力を内外に示した。その後、メーカーの販売戦略からマシンを307CCベースとしたWRカー307WRCにスイッチ。日本で初開催されたラリージャパンで十勝平野を爆走した姿は記憶に新しく北海道のプジョーオーナーはもちろん、日本各地から駆けつけたプジョーファンを魅了しました。残念ながら、307WRCは206WRCほどの活躍を見せることはなく、2005年シーズンを最後にワークスとしてのWRC撤退。2005年のラリージャパンでの優勝が、WRCのワークス活動の最後に花を添えることとなったのです。
現在は、207ベースのS2000クラス参戦車両の開発とプライベーターのサポートを行っており、IRCにおける207の成績はすばらしく、WRCのトップカテゴリーの変更によっては、再々参入も十分にありえると期待しています。
プジョーはこのほかにもルマンへ挑戦するなど、モータースポーツへ積極的に参加してきた自動車メーカー。そのイメージこそがプジョーを知るきっかけであり、憧れに終わらずにオーナーになった人も少なくないのではないでしょうか。これまでと同様にこれからもプジョーが元気で活気あるメーカーであることを私たちオーナーは願っています。